ゆるかん

赴くままにゆるゆるっとした感想を。観劇・読書など。残念ながら頭のいい考察などはできません。「私も読んだ!観た!」な方の感想聞きたいです。お気軽にぜひ。

死にがいを求めて生きているの/朝井リョウ 感想

昔すすめられていたけれど人気でなかなか借りられず。

やっと予約の順番が回ってきたので読んでみました。

 

以下、内容に触れます。

 じわじわと真相に近づいていく感じの少し不気味な話。

だけど、身近にある、生きがいを持たない生きづらさ。

 

転校生の、細かいことを何もかも誰かに教えてもらわないとできないときの

過ぎていかない時間の長さ、わかる。

転校したことはないけれど、職場で新しい部署へ行った時の、

どうでもいい細かいことまで聞かないとできないもどかしさみたいなもの、ありますね。

 

中学生の、名札をさかさまにつけると恋人募集中、みたいな

謎のきまり、懐かしい。

きゃっきゃきゃっきゃ言うやつ。

スカーフの後ろを襟から出すと・・・とかあったなあ。

 

早口でまくし立てるの、土台が変わると全く見え方がかわるというのも、とてもわかる。

目立つ男の子ならよかったことが、目立たない人間がやると

気味が悪いこととして見られてしまうんですよね。

頭の回転が速い証拠だと思うんですけど、

でもそれゆえに理屈っぽくガンガン喋る姿は

相手を置き去りにしているかんじがでて

思春期ゆえの自意識過剰さとか自己陶酔感とかそういうものが

気持ち悪さにつながってしまうのでしょうかね。

若い頃は「喋り方」ってあまり意識しないけど、

人の印象を大きく左右するんですよね。

そして、子どもから大人になっていくにつれて

「かっこいい」とか「人気者」であるための条件って

変わっていく。

それを素直に受け止めて軽やかに更新していければいいけれど

難しいものです。

 

漫画とか、音楽の歌詞とか、キラキラした何に触れても傷つくように

なってしまった与志樹くん。

自分が落ち込んでいるときって幸せそうな周り、

フィクションであろうとも刺さってしまうときってありますね。

そんなときな自分を傷つけないものを探せる力も大事。

 

手段と目的が逆転している人。

今の時代、SNSやらで周りの人の様子が昔以上にわかってしまうので、

余計とそういう人が多いような気がします。

自分も、それがしたくてしているのか、周りにこう思われたいからしている、のか

分からなくなることってあります。

そして与志樹くんのように、何気なく手に取ったスマホ

とりあえずSNSを見て、だけどそれは5分前にもとった行動で、

だから何も更新されてなくてっていうむなしい時間、手持無沙汰なとき、あります。

 

兵役にでるとみんなの前で言った李くん。

周りをおままごとだと言い放つ。

皆それに「負けた」と思っているようだけれど、

わざわざ皆を馬鹿にするように言い放った彼も皆と変わらないと思います。

本当に自信があったり、やりたいことがあったり、満たされている人は

わざわざ人を傷つける言葉は選ばないと。

 

自分のことを好きになれるかも、と思ったら人を救うことがどうでもよくなって、

だけど自分の幸せのためだけに生きちゃいそうでがむしゃらに頑張ろうとした

めぐみちゃん。

いやいや、自分だけの幸せのために生きればいいじゃない・・・。

みんながみんな自分を幸せにできたらそれはなんて最高の世界だろうと

思いますよ。

自分が幸せになってから、そしたら人の事も幸せに、そう自然と

繋がっていくのになと。

結局は、自分で自分を否定しなくてもいい状況に

いられるようになってよかったです。

 

敵が多いけれど、不思議と百パーセントは嫌いになれない魅力があるのが

悪い人間の特徴だ、と書かれていましたが。

本当にそう。

なぜ悪い人間というのはきらっとした魅力を持っているのか。

 

どれだけ惨めなことでも、番組を撮る立ち位置を逃せないと感じる弓削さん。

気持ちはわかります、けれど、けれども。

惨めって、とてもしんどい。

辛いとか悲しいとかよりも、惨めってすごく自尊心を削られますよね。

 

ある特定の国の出身者というだけで罵っていいと思っている人が

年齢問わず多い、と書かれていましたが、

これ、本当にそうですよね。

不思議。

 

ドリンクバーくらいすぐ命注ぐっていう言葉、面白い。

ワードチョイス。

かなり馬鹿にしているけれど。

 

女は神輿を担がなくてもいいし、担ぐとものすごく盛り上がる。

男は担いで普通で、担がないとだめなやつ。というお話。

これは、職場とかでもありますよね。

もちろん女だから理不尽な目にあうこともあるけれど、

男だから理不尽な目にあうことだってたくさんあります。

今は女の人が理不尽な目に合うと取りざたされがちだけど

男の人は押し込められることも多い気がします、私の周りでは。

どっちだからどうとかじゃなくて、フラットになればいいのに。

自分もついつい決めつけてかからないように、

流されてしまわずにちゃんと考えていられる人でいたいです。

自分だけの生き方をって言われても、人はどうしたって自分と誰かを

比べてしまう、と書かれていましたが、

結局自分を許せないのは自分だったりしますよね。

 

人間には三種類いるという話。

生きがいがあって人のためになる

生きがいはあるけど人のためにならない

生きがいがない

わたしはたまたま一番初めだと思うけれど、

でも、私と全く同じ生活をしてても自分を三番目だと思う人もいると思う。

生き方というより、捉え方。

ゆるく、ゆるく。

人を困らせない範囲内でなら、全力で自分を甘やかす方に生きていきたい。

久しぶりの人と会って近況報告をするとき、

特に生活が変わってなくて、仕事もそこそこの私は報告することそんなにないけど、

報告することがなくちゃ生きてちゃいけないなんて

そんな風に思ってちゃ生きられない。

 

智也は生きがいのある側の人間だけれど、

結局自分も相手との摩擦で体温を感じているのではないかと

自分を疑ってかかれるところ、素敵だなと思いました。

人と向き合った時に、相手だけを糾弾するのではなくて

それは自分にも言えることかもってちゃんと振り返れるのは素敵。